波切神社

波切神社は崎山と須場の浜の間にあり、元は四宮と呼ばれ四つの宮が境内にあり、これを中心に、江戸時代付近に分散して祭られていた諸神を一つの神社に纏める為に建立された神社です。

熊野系の神様の伊勢神宮、春日大社系などの神様が祭られています。

また、祭られている神様は伊雑宮が神宮へ米を納める事から、神稲の神様、「国狭槌尊」(くにのさつちのみこと)が主神となっています。古くから伊雑宮との繋がりがあったようで、この地の子供は「磯部の川で拾われた子」と言われています。

宮山の周囲は自然の宝庫で、森が茂っています。この周囲、帝室御用地だったそうです。

元々は藤原氏の領地であったものが何時頃帝室御用地になったのかは定かではありませんが、その昔、九鬼氏の時代、代々この地の管理は、宮内大輔である九鬼氏が取り仕切っていました。

帝に取り入る際、自分の領地を差し出し、改めて管理者として認めてもらうというシステムが盛んに行われた時代のことです。

波切神社そのものは明治時代以降に出来ましたが、江戸時代以前にこの神社から御霊分けをした神社が近畿に幾つかあります。当地には文献が残っていないのですが、天正時代つまり室町時代に御霊分けをした神社の方に記録が残っていたらしく、わざわざ宮司さんが訪ねてこられたそうです。おそらく、四つの宮自体が室町時代の豪族の宮であったため、そのころの熊野灘から太平洋岸一帯の往来が盛んで、その頃の時代に御霊分されたのものと思われます。

当時、海賊の間で養子縁組がかなり行われ、四宮自体も海賊の宮であったため分けたり、くっつけたりと行われたのではないかと思われます。

祭神一覧(記載は19柱ですがこの他に数柱有るそうです)

国狭槌尊 くにのさつちのみこと 神代7代の神様です。(主神)
神稲の神様として知られ、伊雑宮の領地で在ったことを伺わせる神様です。
志摩ではこの神様は越賀神社にも祭られています。
皇大神 こうたいしん 何れも天照大御神の事で、前者は国の祖先として、後者は伊雑宮の神様として祭られています。
伊雑皇大神 いざわこうたいしん
伊弉冉尊 いざなみのみこと 日本書紀には「常世の浪の重浪の帰する国」と伊勢の地を言われていますが、伊勢志摩でも、特に大きな波が幾重にも打ち寄せる大王埼はまさにその地でもあり、常世(根の国)に住まう神様でもあり、海の神様でもある伊弉冉尊が祭られています。
熊野信仰において薬師如来は「伊弉諾尊」で、「堂の山」に祭られていますから、この地には夫婦で祭られていることになります
素戔嗚尊 すさのおのみこと やまたのおろち退治で有名な海の神様で、天照大御神の弟神です。
また、この地方で信仰されている牛頭天王でもあります。
蛭子神 ひるこしん 伊弉冉尊が最初に生んだ最初の神様です。
神社の入り口にも恵比寿様として祭られています。
歴史研究家の人によれば、伊勢志摩は伊勢神宮の鎮座する以前から太陽信仰の地でもあり、当地に祭られていた太陽神(昼子神)が記紀神話に取り入れられて行ったのではないかといわれています。
大山祇神 おおやまずみのかみ 山の神様、航路の神様でもあり、波切漁港にある浅間神社(ご神体は富士山)の神様(木花咲耶姫:瓊瓊杵尊の妻)の親神です。
金山彦命 かなやまひこのみこと 鉄の神様で、製鉄や鉱山の守り神で、アメノマヒトツメノミコト(鍛冶の神様:ダンダラボッチ)とは鉄を叩かれるので犬猿の仲の神様です。
天児屋根命 あまごやねのみこと 天孫降臨の折り、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)につき従った神様で、天照大神が天の岩戸に隠れた折り、祝詞を読み上げた神様です。老いの浜の由来ともなった神様です。
また、アメノマヒトツメノミコト(鍛冶の神様:ダンダラボッチ)と一緒に降りてきた神様としても知られています。
表筒男神 おもてづつおしん 伊弉諾尊が禊を行った際に生まれた海の神様です。
中筒男神 なかづつおしん
底筒男神 そこづつおしん
豊玉彦神 とよたまびこしん 真珠の神様です。
奈良時代から真珠の産地であったため祭られているようです。
日本書紀に於いて山幸彦の妻である「豊玉姫」の親で海の神様です。
豊玉姫は浜島町に祭られています。
猿田比古神 さるたひこしん 何れも猿田彦神です。
道案内の神様でもあり、海道の道案内役として祭られたのではと思います
白髭神 しらひげしん
葦夜神 いやのかみ ダンダラボッチの伝説に登場し、ダンダラボッチと争う神様で、産土神です。
また、一説には黄泉平坂の神様とも言われています。
一説には葦夜村主とも言われ、志摩地方にある海女のおまじないを作った人では無いかといわれています。
「陰陽師」に登場する「葦夜道満」の神格化かもしれません。
應神天皇 おうじんてんのう 八幡信仰の神様です。
神功皇后 じんぐうこうごう 八幡信仰の神様ですが、この地方には神功皇后の伝説があります。
海路、伊勢神宮へ入ろうとした一行が嵐の為足止めを食い、止まったところが「御座」、食料調達の為矢を放ち受け取ったところが「矢取島」、食料を炊き出したところが「浜島」(飯米島)という地名になったそうです。
奈良時代、この地で朝儀として納めていた神馬草(ホンダワラ:玉藻)は新羅征伐の際、神功皇后の愛馬が体力を取り戻した事から馬の餌として納められていたようです。
菅原道實 すがわらのみちざね 天神様。 学問の神様。

港の鳥居

この階段を上ると、波切神社へと続きます。

入り口横の祠は恵比寿様です。

写生大会の際にはこの横の井戸が水汲み場ともなります。

ここから見る漁港も絵に多く描かれているところで、特に夏場は暑い日差しを遮る木々のため比較的涼しい人気の場所ともなっています。


うっそうとした森

神社への道は、うっそうとした森と苔むした石垣が目につきます。

この右側には忠魂碑が建てられています。

一枚岩の忠魂碑としてはかなり大きいものとされ、県内でもこれほど大きなものにはほとんどお目にかかれないと言われています。

石畳はかなり人の往来があったので少しくぼんでいます。


神社の祭り

毎月1日に地元の方が集まり月次祭(つきなみさい)を執り行います。 近隣の信者から魚やお酒が上がってきます。 漁師仲間では大きめの魚を上げると意外と大漁になることがあるとのこと。

神事は数多くあり、新嘗祭、神嘗祭などが行われています。

このほか、ちの輪くぐりなど伊勢神宮で行われているような行事も行われています。

カメラマンがもっとも集まるのは祭りの日。

浦安の舞などが披露されます。かなり練習を積んでいます


鯨石

その昔、この地方でも鯨漁が盛んでした。

鯨漁をこの地に持ち込んだのは九鬼氏ですが、鯨のお腹から出てきた石を不思議に思いこの地に奉納したのが鯨石です。


崎山

三島由紀夫氏は潮騒のロケハンを行う際にこの地を訪れています。 この地からは遠く神島を望むことができ、ここで歌島などの話を聞き神島に想いを馳せたそうです。

後に、三島由紀夫氏から潮騒の初版本が送られてきたそうです。 万葉集では遠く伊良子の島に想いを馳せた歌が幾つかあります。

奈良時代の役所跡がこの近くにあり、ここからは伊良子などが良く見えるため、ここから歌われたのかも知れません。

崎山はその昔、「佐芸山」(さきやま)と呼ばれていた所です。そこから見る風景は作家の心を大きく、くすぐった様です。

佐芸山の佐芸は奈良時代に志摩国が志摩郡一郡から英虞郡、答志郡に分かれる際、一時的に佐芸郡と命名され、後に英虞郡と改称された時の名残ではと見られています。


崎山公園

じつはこの岬も絵かきさんに愛されている岬の一つです。 弁当を広げても良いところです。

意外と知られていない風景の穴場です。

宮山の坂道を登るとその分、壮大な景色が広がるという場所でもあります。


芝生の広場

普通、芝生となると立ち入りが規制されることが多いのですが、ここでは自由に遊べます。

芝生でそり遊びなどをする子供もいます。 また、バッタや昆虫なども生息し、時には渡りをする蝶なども見ることがあります。


名画の地

昭和の初期など、多くの絵かきさんが訪れこの地で絵を描いています。

ここから見る岩場の風景は藤島武二氏などにより描かれています。