
柿本人麻呂の歌です。
持統天皇の伊勢行幸の際、都に残りこの地を想像して詠んだ歌です。
「阿胡の浦で船乗り遊びをしているお嬢さんたち、裾が潮につかり膨らんでいますよ。」という歌です。
石上麻呂の歌です。持統天皇の伊勢行幸に付いて来た方ですが、都に残した妻を気遣い、阿胡の行宮で詠んだ歌です。
「妻はこの山を見ているだろうか、それとも大和の国からは見えない山だろうか。」という意味です。
この歌が元で山に「高見山」という名が付きました。
阿胡の浦の所在地には幾つか諸説ありますが、一般的には英虞湾を指します。
阿胡は波静かな海という意味ですが名前の由来は定かではありません。現在の英虞湾の由来ともなっています。
持統天皇の伊勢行幸の際、阿胡の行宮(あごのかりみや)にて歌を詠んでいます。
この歌に詠まれた歌に登場する山が「高見山」。
写真中央の太陽の下にある台地状の山が高見山です。
志摩国と呼ばれた地域では、大王町の谷間を除くほぼ全域、阿児町立神、志摩町の和具、金比羅山などの高台のみでしか見ることが出来ません。
その他の地域では近くの山が迫り、見ることの出来ない山です。
おそらく、阿胡の行宮もこの英虞湾の何処かに在ったものと見られています。
阿胡の行宮に持統天皇が訪れたのは春。波静かな時期を選んだようです。
伊勢行幸の際に詠われている歌には、この他、答志島や伊良子岬が出る物があり、海沿いに歌を詠んでいった様です。
その昔、天皇の行幸は海路を伝ってきた訳ですが、その名残が、志摩町の御座や浜島町などの名前の由来となっています。
阿胡の由来を探る手がかりは、方言、風習などに見ることができます。御食つ国の由来ともなった宮中行事の名前が「安居」(あんご)、これを宮中で行っていた人たちの古墳が大王町に残されています。安居を万葉仮名として読むと「あご」になります。
名詞の場合、2文字目に濁音が入ると、その前に「ん」を入れることが通例になっています。古くからある名詞で2文字目が「ん」、3文字目が濁音の場合、「ん」を抜いて万葉仮名を当てはめると意外と言葉の成り立ちがわかります。
例えば、「田圃」(たんぼ)。「たぼ」と置き換えると、「ぼ」は「歩」に置き換えることができます。つまり、大宝律令時代の田の数え方となるわけです。
