わらじ祭りの始まり

毎年9月ごろ、旧暦8月の申の日に行われる伊勢志摩の代表的な祭りで 、三重県の無形文化財になっています。(年によって祭日が変わるため、詳しくは行事予定をご参照ください。) 正式名称は葦夜権現祭(いやごんげんさい)と言い、ダンダラ法師(ダンダラボッチ:「沖の一つ目」とも言います)を葦夜の神様が知恵を絞り、当地から追い立てた古事に由来し、追い出したダンダラ法師が二度と波切に近づかないようにと行われる様になった神事です。 現在の祭りの形態となったのは凡そ300年程度前の元禄16年秋の氏神祭と言われていますが、 前年には元禄の大津波があり、東海道には高さ8mの津波が押し寄せたと有ります。その4年後の宝永の大津波など2度にわたる大津波でこの地区は壊滅的な被害を受け、それ以前の資料は皆無となっています。元禄時代の記録では「再興」とあることから、それ以前より祭りが行われ、一時何らかの影響で途絶えていたようです。

ダンダラボッチ自体の名前が平安時代以前の発音で有ることなど、神事は波切神社の前身である葦夜権現の神事としてかなり古くから行われていた様です。

民話は語る、あらぶる神の伝説を・・・ 熊野から「八大竜王」に追われた「だんだらぼっち」という片目片足の大男が、大王埼の沖にある大王島(古来は葦夜が島と呼びます。)に住みつきました。波切の里にきては大風を起こし、人をさらうなどの大暴れを繰り返します。そこで困り果てた村人が、産土神である「葦夜神」(いやのかみ)に助けを請い、葦夜神は村人(娘)に化け、浜の小屋で筵を編みます。そこへやってきただんだらぼっちは、「何をしているのだ」と尋ねます。そこで、葦夜神の化けた村人はむしろを「千人力の村主が履く大わらじ」と答え、その後、鰯を獲る漁具などを次々に千人力の村主が使う身の回りの道具類として答えます。自分よりかなり大きい大男がいるのではどんな罰を受けるのかわからないと恐れおののいたダンダラボッチはこの地より逃げていきます。 波切の村人は二度と来ないように、村には大男がいるぞと言う戒めのため、最初に使ったむしろや漁具ではなく、改めて大男が履くような大わらじを編み、海に流したのがこの祭りの始まりだと言われています。 神事は波切神社でのわらじ曳き、神社下の須場の浜でのわらじ流しがメインですが、一日を通して楽しめるお祭りです。 この神事が行われる日は不思議と雨が降らないと言われており、ここ30年でも1、2度程度、お湿り程度の雨が有った程度です。 それでは、順を追ってご紹介いたしましょう。 尚、年により、祭りの進行スケジュールが異なりますので、お問い合わせ下さい。


子供たちへの伝承

わらじの製作はTV局、新聞社のみならず、付近の小学生も地域学習の一環として取材に訪れます。

お爺さんに真剣な眼差しで伝承などを聞いて勉強しています。


草鞋の製作

わらじ祭の数日前の吉日に、わらじの製作を行います。(通常は前々日)

使う藁束は凡そ70束で長さ2m40cm、幅1m40cmの物を作成しますが、年により若干大きさの違いが出るそうです。(大きさは平成13年のもの) このほか、青竹で魚籠なども作成します。


奉納相撲

祭りの前に行われる相撲です。今までは前夜祭でしたが、休日に変更が検討されています。 付近の社会人から大学生、小学生に至まで幅広い人たちが参加します。 相撲のレベルは県内でもトップクラスの人たちが集まります。 当地の相撲は極めて強く、波切中学校においては全国大会の優勝の実績もあります。 町外からの参加も多く、半日掛かりの相撲大会です。

県内外からの参加申し込みは自由ですので相撲の強い弱いにかかわらず振るってご参加下さい。参加年齢は小学生以上で、志摩市教育委員会まで、祭り当日の10日前までにお申し込み下さい。 いろいろな賞がありますので奮ってご参加下さい。


鼓笛隊

燈台の頂上部にはフレネルレンズと呼ばれるレンズ等を収めた投光器が備え付けられています。


さあ出発

志摩の国漁業協同組合前(旧波切漁業協同組合前)から出発します。 漁師の家系から選ばれた7名ほどの子供が祢宜さんのお払いを受け、宝船に乗り出発します。 この子供たちは後ほど、わらじ引きとわらじ流しの神事に参加します。


鯛のお神輿

祭りといえばやっぱり御神輿。

一般に何処でも見かける御神輿とは違い、魚を御みこしにしています。

神様に供物をささげるという形の御神輿です。

鯛のチームは青年部で結構、派手な衣装です。


宝船

米俵に腰掛けている子供は恵比寿さまに扮しています。

大漁をもたらす神様ですが、恵比寿様に例えられる蛭子神はこの地で生まれた太陽神で、後に記紀神話に取り入れられた産土神とも言われています。


踊り子道中

宝船に合わせ踊り子道中が出発します。

一般の飛び入りも大歓迎。


宮山へ

13時を回った頃に、宮山(みやさん)に向け、大わらじが上って行きます。

但し、振舞い酒が多すぎると・・若干遅れる事もあります。 最もカメラマンが多く集まる時間です。

現在は、漁港前で神事を行った後、上っていきます。


わらじ曳き神事

宝船に乗っていた子供たちにより、県無形文化財のわらじ引き神事が奉納されます。 神楽音曲と歌われる祭文に合わせ三度舞を舞います。

? この後、紅白(古来はあさぎ色)の布綱を西方から東方に向かい思いっきり引っ張ってわらじを動かし神事が終わります。

現在は漁港にて行われていますが、神社でも行われます。


エレワカ

わらじに御饌を供えます。 祭りのクライマックスであるため、最も多くの人が集まります。 一説にはこのわらじは神の乗り物という説がります。 この時に歌われている歌はエレワカという歌で、紀州の歌です。 


沖へと

わらじは沖へと向かいます。 この後、沖にて黒潮に乗り何時しか海へと消えていきます。


暑い

中学生の御輿の担ぎ手は海に飛び込みます。 本当は・・止めようとしているのですが・・・

いつしか風物詩になってしまいました。


夜の花火

この時期、風は西から東に吹くことが多く、。見る方向からは煙が沖へと流れていきます。 上がる数は少ないけど、同じ花火でも結構鮮やかです。


祭りの謂れ

元は神社神主であった松井兵太夫氏の先祖が行っていた祭りを波切神社の神事とした祭りで いたずらをする大男を追い出してしまうという故事にのっとり行われています。

神事としては今回、写真に収めている神事以外に松井家の当主と神様が食事をするという神事が有り、20代にわたり行われている神事です。現在では波切神社の秋の神事として執り行われており、日本三大お田植え祭といわれる伊雑宮(いざわのみや)のお田植え祭と並び、志摩市内の主要な海の神事として行われております。

御食地の海の神事の一つでもあり、三重県の無形文化財でもあるわけです。伝説では葦夜神はこの地の産土神とも言われていますが、葦夜神は波切が万葉の時代、伊雑宮の御食地になった後に登場した神であり、この地の本来の産土神は御食地の神、伊雑大皇神、つまり天照大皇神になります。


ダンダラボッチ

ダンダラボッチはダイダラボッチとも言い、常陸の国風土記などでは「大太法師」などと書き、 主に、山や湖を作った大男と言う伝説になっています。

元々、この地のダンダラボッチには記録が無くなってしまったため、元禄時代以降には「沖の一つ目」など鬼神として奉られていました。 柳田国男さんの収集した民話の中にも、熊野山中に住んでいた一踏鞴(ひとつたたら)といふ凶賊の如きは、飛騨の雪入道と同じく、また一眼一足の怪物であり、大力にして、雲取山に旅人を劫かし、或は妙法山の大釣鐘を奪い去りなどしたために、三山の衆徒大いに苦しみ、狩場刑部左衛門 (この子孫は現在志摩市浜島町に在住しております)に頼んで退治して貰った。

この一眼一足の怪物は同じ熊野では「一本踏鞴」とも呼ばれ、様々な伝承が在るようです。 熊野のみならず日本全国の鉄の産地に伝わっているようです。さて、この一眼一足の怪物は、その形状と鍛冶を行う事から「天目一箇目命」だと言われています。

807年(大同2)、斎部氏の長老、斎部広成が神代以来の歴史と自らの氏族とのかかわりをまとめた書、「古語拾遺一巻 加序 從五位下齋部宿禰廣成 撰」によると、 一目連、天目一箇命は筑紫,伊勢兩國忌部祖也。と記しています。

この斎部広成は万葉歌人の忌部首黒麻呂の一族の人で忌部子首、つまり忌部首(いんべおびと)の祖に当たる方の孫になります。西暦800年頃には熊野灘一円に民話として伝わっていた様です。 波切のダンダラボッチは、形状、性格から一本踏鞴同様の鬼神としての性格を持っています。 この地方の和具など他の地区に見られるダンダラボッチとは性格、大きさが異なり、和具の大島、小島を作ったダンダラボッチ などは、後に常陸の国風土記などに登場する、ダイタボウの性格を伝説にしてしまったようです。 ダンダラボッチを退散させてしまう神様に、葦夜神がいます。 この神様は日本神話では黄泉平坂(よもつひらさか)の神様で常世(黄泉)とこの世を結ぶ神様ですが詳しい謂れはあまりわからない神様でもあります。 黄泉平坂(よもつひらさか)といえば、元旦の深夜に行う火祭り行事は黄泉平坂(よもつひらさか)を通して悪霊が入り込まない様にした神事の地方版でもあります。

日本の神話である日本書紀は当時、天武天皇の領地等から集められた民話、神話なども取り入れられていると言われています。 壬申の乱の際に、伊勢の地には天武天皇の皇子である舎人親王(日本書紀の作者)の支配下に於かれていたといわれております。


祭りの縁起あれこれ

金のわらじ・・・年上のお嫁さんを探すときの例えです。年上の奥さんは家を切り盛りする事に長け、海に出る志摩の人たちにとっては家を安心して任せられるという例えです。

伊勢神宮のお白石引きのわらじ・・・伊勢神宮遷宮のお白石引きにてお白石引きの山車を引っ張る方たちが使用されるわらじを波切に求められたことがあります。求められた家は、伊勢神宮外宮禰宜家出身の方の遠縁の親戚になり、わらじを御食の代わりとして供出しました。その功であるのか、お白石引きに参加を許されたそうで、現在わらじ祭りにおいてエレ和歌を歌っております。 波切神社のわらじは様々な縁起を作り出しているようです。 皆さんもご存知のもののけ姫という映画にも、だんだらぼっちがシシ神の夜の姿として登場します。

ちょっと、わらじ祭の登場する神様と照らし合わせてみましょう。 わらじ祭りには葦夜神、恵比寿、ダンダラ法師の3柱が登場しました。ここで視点を変えてみると・・ 葦夜神(波切神社の神様)・・あしやのかみ(訓読み)・・アシタカ(アシタカヒコ) 共通項:知恵に長けた神様で、ダンダラボッチ(=だいだらぼっち)と対峙した神様。 この神様は、他の地域にはいない波切だけの神様です。 恵比寿(波切神社の神様)・蛭子神(波切神社の神様) =昼子神(一説には記紀神話以前の志摩の太陽神と言われています)=太陽・・サン(太陽の英語読み) だんらぼっち =ダイダラボッチ =シシ神(ダイダラボッチはシシ神の夜の姿) 共通項:村人と仲が悪い、自然の荒神(波切にて暴風の神様になった) 関東でのダイダラボッチは最初から村人と仲が良いので正反対。 島は人が上ってはいけない領域であること。 ここでは登場しませんが・・金山彦命(波切神社の神様)を祭る人=製鉄をする人・・・波切の人=村人人 共通項:村人、ダンダラボッチ(ダイダラボッチ)とは仲が悪い。 あと・・巫女(のろ)又は神社の神主さん=モロの君・・「のろ」は踏鞴製鉄の最初に湧出する鉄のことです。 古い時代、熊野からこの地方にかけて親代わり(又は名付け親)になります。 共通項:子供(この場合、サン)の親代わりになる。 なぜか・・現在の三重県知事も野呂さんですが、この姓はこの「のろ」から来ているかどうかはわかりません。 ちょっと脱線すると・・絵かきさん=絵のプロ=絵法師=エボシ もののけ姫に関係する神様がなんと4柱、そして神主さんも登場してしまいました。実は、これ以外にも波切神社には間接的にですが、関係する神様が何柱か居られます。スタジオジブリの高畑修さんは実は伊勢市出身の方で、この伝説の伝わる地方出身でもあるわけです。宮崎駿さんのもののけ姫などの元ネタは、スタジオジブリの方たちが慣れ親しんだ民話を随所に取り込んでいたわけです。


写真撮影のお願い

各神事撮影の報道機関及び撮影者の方へお願い。わらじ引き神事の撮影について。わらじを神社に運ぶ際の撮影はわらじの移動方向正面にて撮影する場合、すぐに移動できる状態で撮影してください。神社社内での撮影は祭主及び来賓席として折りたたみ式の椅子が設けられております。 この為、折りたたみ椅子の後方より撮影するようお願いします。また、地元の記録映像として正面及びサイドから小型もしくは大型のビデオカメラで、撮影を行っていますので、このビデオカメラの録画の妨げにならないようにお願いします。 また、報道機関の方は、撮影の際、神社内部が狭いためカメラマン1名のみでお願いします。わらじ流し神事の撮影について。わらじより海側に立っての撮影は絶対に行わないで下さい。 神様と祝詞をあげている人の間に立つ事になり神事の妨げになります。 足元が不安定であるため、大型のカメラを持つ方は足元に注意してください。